4月2014-04-01

実は昨日から新しい仕事場ができて
通勤した。
2.3ヶ月の話。

週2回くらい。
時間給ながらの9-5時。パート?
どうせお家でご飯たべられない時間だから
だれか、夜デートしよ。
久しぶりにOL生活楽しもう。

仕事場は、直接の雇用関係でないけれど
そこでないとできない。
千代田城のほとり。

まあ、桜が満々。どこをみても、空が桜。
こんなに一変に花が咲いた。
不思議な。

ちょっと向きが変わると星占いを信じるわけでは無いけれど
いままでと違うシーンに自分がいたりすると
ん?本当かな。
信じてみるかという気になる。

人間は信じた未来に進む、とSFのベーシックだけれど
曲りかけたこの角の先まで無事たどり着けたら
それはそれで私の望む世界なんだろうなと
若くないから思う。

それがいいとか悪いとかでなく
それがありのまま。
しっかり流れに乗ってこのブラインドコーナーの出口に向かう。
その先がもう寿命の果てでもね。

関心がないという自己愛2014-04-02

昨日まとめられなかった文章。
たぶんね出だしで躓くんだよ。
自分の頭の中の断片を文章にする際に、
自分では言いたいことがわかっていてその前後のつながりも明確だけど
こうやって誰かの目に触れるかもしれないと思って
あまりにも独りよがりな文章だと不親切だよね、
なんてかんがえてしまう。から状況説明をし出す。
それだけで数十文字書いてって考えて、
もうそうまでして伝えたい文章かなんて考え出したら、
やめとこってなって、ずーーーと止めとこになって。

この頃Twitterでよく見る、(それはそういう人をフォローしてしまったからだけど)「関心がない。」ということば。
自分もそうだから気になって追いかけてしまった。

そしたら、似たような人もでてきてしばらく眺めていたの。
自分と違うとわかったからちょっと残しておこうと
これ書き始めた。

彼女たちは、(他人に)関心がない自分に凄く関心がある。
他人とうまくコミュニケーションできないとか
干渉されたり、愛されたりが苦手という。
すごく他人と自分を比較する為に、どちらもすごく観察してる。

たぶん、人と上手くやって(いるようにみえる)る人って
彼女たちが思うほど、他人を見ていないし、自分も見ていないと思う。
思考の深いところで交わっていなくて神経反射的な部分で
会話をしてるからあんまり負担にならないんだと思う。

かえって、他人と自分はって言うだけ自分に固執して
愛憎の対象が自己なんだと思う。
ほぼ毎日、「他人に関心がない私」コメントがあるのは
逆に凄いことだと思う。
位置が変わらないんだよね。
それを変えろというつもりもないし、
死ぬまでそこにいればっても思うから
どうでもいいけれど。

ただ、そういう主張も毎日つづくと
これは自己愛だし、誰かにそれがあなたと言ってもらいたい欲みえて
ひとつの承認要求なのかと、昨日思った。

わたし、だれかに認められたいんだろうか?
ひっそりと世界の片隅でだれに知られることもなく
亡くなりたい。

見た目年齢2014-04-06

昨晩、わたしより3〜5歳年上らしき女性から
年齢当てクイズで見た目年齢聞いた。
本当は当てに来てるわけだし、同性だから信じていいと思う。

まあ、外れではあったけど
府に落ちた。
ふむふむ、なるほどって感じ。
異性が年齢をいうときって確実にさば読むんですね。
実に、4〜5歳。大笑い。

じゃあ、若い会社員さんと並んで歩いていると
同僚でいいんだ。
子供ってことはないんだな。

若い人に仕事の指導を受けるのちっともいやじゃないけれど
周りから見るとおかしいとかみえちゃうかと思って
気になってた。


あと、ビールをどうして飲み慣れなかったのかな。
・・・ワインじゃないとだめなヤツもいたからいいや。

比較2014-04-09

昨日、一昨日見た映画を FBに書き留めていた。
そもそもFBを始めるとき、コンテンツを決めたので
始めようと思ったから自然なことだった。
コンテンツとは、見た映画を書き留めておこう、と
街で見かけた気になるものの記録。なのだから。

書き終わってホームのペイジに戻って
なにげに友達のご報告を眺めていたら
ほぼみんな誰かと何何した。
あれ?自分の行動を記している(報告も含めて)のって。。。
私の他に2人。
ひとりは、いつも仕事で行った先の切り取り。
このひとのFBのコンテンツはこれだから問題なし。
もうひとりはたまたま週末のひとりスナップ。

私と言えば人と交わる事をほとんどしていない。
正確にはしてないんじゃなくて書かない。
はー、お一人様。
うん、自分はちっともそれがおかしな事だと思ってなかったんだけどこうしてみるとおかしな事だ。

どうして、人と交わったことを記録しないのか考えて見た。
たぶん、淋しくなっちゃうからだ。
一期一会しかないのなら記録する意味がある。
けれど特定の期間誰かと親密に交わったことを残しておくと
その関係が無くなったときに泣きたくなるからだ。

だから、残せるのは学生時代から今も続いている関係の友人か
もう、すっかり過去になって思い出話だけ。
思い出は変わらないないから記録したとしても
未来永劫その形で残る。
自分の中で決着してるからそれは怖くない。

もう数十年来続いている友人も自分の中では
続いてきた時間より自分の人生の方が短いのだから
怖くない。
死が別れを告げるまでだ。

人生において魚と浮き草のように
しばらくなんだか頻繁にやりとりしても
ふっと消えてしまう時が来るのを客観的に確認できるのが
怖くて、嫌だ。

こういう感情、彼らはどうやって処理しているんだろう。
そして
FBの正しい使い方を知ってしまった自分が
異端のままどこまで続くのかな。
なんだか、もう他の人のも見ないような気がするの。
FBとうめいにんげん。